Dreamblade Story 『茨の城砦』


II.死せざる者の銃

ロビン・D・ロウズ
Translated by Yoshiya Shindo
Original:http://www.wizards.com/default.asp?x=dbm/article/20060717a

 ケンドラは寝不足気味で、頭の奥がちくちくと痛んでいた。妹に対する警告のような奇妙な夢と、母からの慌てた留守録が合わさって、目覚ましがなるまでの間ずっと悶々としていたのだ。ようやら起きた彼女はキッチンのテーブルに向かい、カッテージチーズの器を見下ろしている状況だ。罪の意識に苛まれながら、彼女はカソーグ湖の母の番号を打った。ここ数年、ケンドラの母親はすっかり心配性になっているようだ。

 「ケンドラ、やっとかけてくれたわ」

 「起こしたくなかったの」

 重要な事項に入る前の前振りだ。「で、どうしてエミリーがいなくなったとか考えてるの?」

 「何日も電話をかけちゃ留守電を残してるんだけど、何の返事もないのよ。雑誌の会社にも電話したけど、誰もあの子がどこにいるか知らないの。メールも送ったわ。インターネットのボイスなんとかとかってので……」

 「たぶん文章書きで缶詰になってるんだわ。それだけよ」

 「エミリーはいつだって電話してくれるんだけどねぇ」

 ケンドラは自分の行動を後悔した。

 「いえ、そう意味じゃないのよ。もちろん、あなただって電話をくれるわよ。ただね、こんなに長い間どこかに連絡もなしでねぇ……お願いだから、できるだけのことをしてちょうだい、ケンドラ。昨晩はぜんぜん眠れなかったのよ」

 「ちゃんと見つけてあげるから、お母さん。約束するわ」

 実際にエミリーの編集部に電話したのは、軋る地下車両(ミッドコミューター)の車内だった。しかし、電話は結局午前の半ばまで待たされることとなる。ようやく向こうの人間を捕まえることができたのは、委員会の合間だった。

 「もしもし? テッサ・サルセドさん? あたしはケンドラ・ヴェール、エミリー・ヴェールの妹です。お電話いただきましたので。エミリーはそちらからのお仕事だと思うのですが、うちの母が彼女に連絡を取りたくて――」

 「ええ、ええ。あの、聞いてください。こっちだって連絡を取ろうとしてるんです。正直言いますけど、私だってイラついてるんですよ。そちらのお母様の心配を増すつもりは無いんですけど、こちらの状況を説明するとですね、エミリーには二十四時間に一回連絡を取るように言ってあるんです。でも全然守ってくれなくて。二十四時間の間連絡を取れない事態にはならないよう、何回も言ってるんですけどね。こんなんじゃ記事もねえ」

 「記事って、どんなものですか?」

 「ギデオン・タンって人の特集記事です。ご記憶にありますか?」

 ケンドラは記憶を探った。「過激派の環境保護主義者じゃなかったでしたっけ?」

 「そう。カリフォルニアの『山林の裁き』って団体のリーダーです」

 カリフォルニア。そう言えばエミリーが言っていた。夢の中で。

 「そこらによく出てくるろくでもないカリスマ教祖の類ですね。彼は賛同者の一団を率いてあちこちへ移動しています。あからさまな違法行為は行っていません――誰も証拠を出せた人がいないという話です――が、言動は真剣に恐ろしいものです。エミリーはその輩に独占インタビューをして、コネを作ろうとしたんでしょう。私が心配しているのは、彼女が彼の信頼なり何なりを得ようとして、人々の中に取り込まれてしまっているのではないかということです。私から連絡がつくようなら、話のカタをつけてますよ」

 ケンドラは安堵の波に流されたような気がした。「つまり、そういうことなのね」

 「何ですか?」

 「彼女があなたに連絡してこなかったのは、そのせいで状況が崩れると思ったんでしょう。彼女はすばらしいレポートを仕上げて、それでおしまいってとこね。後で謝る方が、許可を得るよりも楽なんでしょう?」

 「そうだといいんですけどね」とテッサ・サルセドは言った。そして、テッサに別な電話がかかってきたことで、この件は終わりになった。

 ケンドラは母に電話をかけ、彼女の見解をもう少し柔らかくして説明し、それが済むと自分の仕事に戻った。司法改革委員会のメンバーの一人が、長い間棚上げになっていた問題を引っ張り出してきたのだ。それには彼女の優雅だが根気強い脅しが必要だった。ケンドラは最高の笑みを浮かべて、言い争いを押し戻して留保に持ち込むために彼のオフィスに立ち寄った。

 議論が勝利に終わると、次に回ってきたのがワーキンググループの仲間との臨時会議、それから報告書の面倒な章に対する突っ込み、そして大学のラジオ局のインタビューという有様だった。ケンドラは提案と対抗案の世界で自分を見失いそうだった。それは夜まではかかりはしなかったが、家に帰る道すがら、彼女の心には再び恐怖が訪れていた。

 彼女は部屋のビルの一階を占めているダイナーの前で立ち止まった。窓越しに見えたのはヴァージルだ。彼はカウンターにもたれかかって常連としゃべっては、時おり即席料理のコックに質問を投げかけているようだった。彼女には誰か話し相手が必要だった――明るくて、安心させてくれるような相手が。ヴァージル・リュシエは適切な選択とは言いがたかったが、選択肢は限られている。ケンドラはドアを押して彼に会釈を投げた。

 彼はすぐに彼女のテーブルを拭きにやってきた。ヴァージルが前の経営者からここを買い取って以来、彼の強引なまでの親しさはまるで和平を結ぶ仕事についているようだ。ケンドラはその横柄なまでの魅力を気に入るときもあれば入らないときもある。かつての移動店舗のハイテンションな売り子のようなその快活さとお気楽振りは、彼女の手に余るぐらいだった。まあ、金融街のスーツとネクタイよりは、ダイナーの白服の方が似合っているだろう。ヴァージルの髪は薄くなりかけていたし、それ以外のところもくたびれてきていて、それが自己抑制まで薄れさせているのだろう。彫りの深い尖った顎の顔の皺はえくぼとなり、テーブルを回る歩き方はまるでスキップのようだった。典型的ニューヨーク風の人物になろうとする彼の努力は報われているようだ。

 「何にします?」 彼は尋ねた。

 「ギリシャ風サンドとスプリング・サラダ。ドレッシングは別にして」 彼女は言った。

 彼はコックに注文を伝えると、再びテーブルを回り始めた。「個人的なことで失礼ですが、ストレスがにじみ出てるようですよ」

 彼女は紙ナプキンを開いてフォークを取り出すと、それを彼に向かって突き出した。「で、背中をお揉みしましょうなんて言うんなら、穴だらけにするわよ」

 彼は笑いながら両手を上げた。「今日はシャルドネがお勧めですよ。マッサージの代わりにいかがですか?」

 彼女はうなずいた。ヴァージルはいつでも面白半分に彼女に絡んでくる。妹と会ったときもそうだった。どう考えても、手ひどくやられることに喜びを感じているに違いない。

 彼女は肩を落とした。「確かにちょっとストレスがきてるわね。仕事は仕事だし、ね?」

 わざとらしい芝居がかったしぐさで、彼はすばらしく油まみれの店内を指し示した。「人によっては、そうでしょうな。私にとっちゃ……」

 「それにお母さんからはエミリーの話で電話が来るし」

 陽気なしぐさが消えた。「エミリーが何ですって?」

 彼女はざっくりと話をしたが、夢の件は伏せたままにした。あんまりにも馬鹿げているし、ましてやヴァージルには理解できないだろう。「で、彼女にも言ったんだけど、妹は現状でかなり深いところに入ってて、編集に引き戻されないよう、接触を絶ってるってところでしょう」

 彼は店内の混み具合に目をやると、ボックス席の彼女の向かいの革張りの椅子に腰掛けた。「ええ、ええ、そうかもしれんですな。それが彼女っぽいと、そういうことなんでしょ?」

 「そう思ってないみたいね」

 彼は立ち聞きしている人物がいないかをチェックすると、声を低めた。「いささか常軌を逸したことを告白しますけど、まじめに取り合ってくださいますよね?」

 彼の表情になにか隠された内容があることに気づき、ケンドラは代理人モードになった。これは真剣な質問? それとも皮肉? ヴァージルの経歴の奥深くにエミリーの残像を植えつけた責任の一端は彼女にもある。彼が自分の結婚の破談に彼女が一役担っているかどうか疑っているのか、それは未解決の問題として残ったままだ。

 彼は顔を近づけた。「なんとも変な感じなんですがね――他に言いようが無いんで――最近見た夢のせいなんですよ。普段は夢なんか見ても忘れちまうんだけどね。せいぜい覚えてても、まあろくでもないやつですよ。電車に乗り間違えまくるとか、法律事務所に復帰して机の引き出しを開けて見りゃ、中はペーパークリップでいっぱいだったとか。でも最近のは、まるでテクニカラーの5.1チャンネルサラウンドってやつさ。変な化け物が周りを這いずり回ってるんですよ。風景といえば、ヒロエニムス・ボシュの絵にニンニクとアンチョビを突っ込んだような感じで」

 「で、何を言いたいの、ヴァージル?」

 彼は紙ナプキンを小さな四角にちぎっていた。「ここ数晩、彼女が夢に出てきたんですよ。って言っても、彼女の夢を見たって感じじゃなくて、何て言うか、本物のエミリーが夢に入ってきた感じだった。彼女は厄介ごとに巻き込まれてるみたいで、逃げ続けてたんです――何とも言いようが無いんですが。何かから。言いたい事わかります?」

 「つまり、夢で見てた彼女は夢じゃない、ってそういうこと?」

 ヴァージルはふと気づいたように自分がちぎったナプキンに目をやると、それを手にかき集めた。「今ははっきり目が覚めてますからね。それが正真正銘エミリーだったなんてこた言いません。クスリでもやってるなんて思われたかないですよ。言いたいのは、時には思考とか感覚ってのが空中に残ってることがあるってこと。そんな感じのものがあったんですよ。予感とか、そういうもんですか? だから、あんたがここに来たとき、そっちが彼女の話をする前から、彼女がどうしてるか聞こうと思ってたんです。何て言うか、電話してきてくれってそんな感じじゃなかったですからね」

 ケンドラは努めて表情を変えないようにしたが、注文が来たことで、彼女は救われたような気分になった。


 ケンドラはキッチンの前にかがみこんで、オーブンとカウンターの間にこびりついた食べ物の汚れを掻き落としていた。ストレス発散だ。夢の記憶が頭の中をオートリピートで回っている。考えないようにするべきなんだわ。でなきゃまた眠れなくなっちゃう。

 でも、それじゃヴァージルの夢の話は? 彼がそこに何かあると考えるんなら、真実はそれと反対のほうにあるはずだ。そうじゃない?

 あの時、一瞬だけ彼女は自分の夢の本当の話を喋ってしまいそうになった。そうしなかったことに感謝しなくちゃ。

 ケンドラは掃除を切り上げ、居間に移った。本棚の一番上にはさまざまな小物が並んでいる。いままで、きちんとそれを眺めたり考えたりすることはなかった。ほとんどは贈り物で、彼女の好みではなかったし、単に義務感から並べているだけだった。ケンドラは列の一番端に手を伸ばした。狼の人形。大学生のときに、エミリーからもらったものだ。夢の中の塩胡椒のビンとはデザインが違っていたけど、特徴は似ていた。

 ケンドラは眠そうに肩をすくめた。いつものように夜のシャワーを浴びると、ベッドに倒れこみ、そのまますぐ眠りについた。


 風が低い、唸るような音を立てて葦の野原を吹き抜け、草を小石だらけの地面になぎ倒さんばかりだった。草は脱色されたように白く、そのくせしなやかで生命力があった。ケンドラは斑に灰色の空を見上げた。たくさんの赤ん坊の泣き声がこだましている。

 彼女はエミリーを追っていた。そういえば、昨晩も同じことをしていたはずだ。ぞっとするような記憶が彼女の心を潮のように満たしていった。ケンドラはカフェとオーガを思い出していた――そして彼女が夢見ていたことを。そして今も。幾重もの奇妙さがここには折り重なっている。でも、それをじっくり考えている時間は無い。妹を助けなくちゃ。

 妹を捕まえたものが残した道が白い草原に続いていた。邪悪なバーベキューの熾きの底から舞い上がったような暗い色の灰が、草原に降り続けている。追いかけるのは骨だった。ケンドラは草を掻き分けて前に進まなければいけなかった。

 道の先には一足のブーツがあった。その向こうからはさらに多くの灰が飛んできている。しかし、磨き上げられたブーツはそれ以上先に進むことを拒んでいた。

 それは誰かの足だった。

 ケンドラは自分に覆いかぶさるような人影にゆっくりと顔を上げた。ミイラのような骨ばった顔は、永遠の苦悩に捻じ曲がっていた。それはオリーブ色の民兵の制服を着ていて、大げさなつば付きの帽子をかぶっていた。斧がその帽子を断ち割り、そのままその怪物の頭蓋骨深くに刺さりこんでいた。片手には漫画のような警棒が握られ、もう片手には分厚い、異様なピストルがあった。

 ケンドラは一瞬、この人物が、これだけしっかり立っているにもかかわらず、死んでいるのだと思った。その瞬間、それは拳銃を持ち上げ、銃身を彼女の眉間に定めた。

 「先に進むな」 抑揚のある声は、まるで枯葉がこすれるようだ。

 彼女は一歩下がり、屈みこんだ姿勢から立ち上がった。「誰の権限で?」

 ゾンビの処罰者は銃を彼女に向けて言った。「ここのマウザー博士の権限だ」

 ケンドラは姿勢を正した。新米の地方検事補佐に立ち向かうときと一緒だ。こんなのは現実じゃない。これは夢だ。悪いことなんか起こりっこないわ。「ええと、ごめんなさい、死人警官さん。でも、私の夢の中なんだから、私は管轄外なのよ」 彼女は彼を回り込もうとした。

 銃が火を噴き、彼女の肩を打ち抜いた。冷たさと熱さが同時に襲った。彼女は吹き飛ばされ、真っ白な草の上に倒れた。真っ青な血が小さな川のように流れた。

 これは厄介だわ、と彼女は不意に理解した。はっきりとした夢が妙な方向に進んでいるだけじゃない。

 確かにこれは奇妙だったが、その一方で現実的でもあったのだ。

― 続く


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