誘発見落としの話

(前半のみ抄訳)
トビー・エリオット
原文:http://internationalmagicjudges.net/article-1624

そもそも、ここに至った経緯は?

 始まりは、ウィザーズ社が直感的でないと感じるカードから「〜してもよい」を取り除く決定をしたことにあります。その方がいい理由はたくさんあります――Magic Onlineでのクリックの回数だけでも十分な話だとは思います――が、その中にジャッジにとって楽になるという話は含まれていなかったようです。

 長年の間、ジャッジはカード上の「〜してもよい」の単語を、プレイヤーが誘発を忘れることを選べるサインとして使ってきました。ルールはそれがあることを(特に格上げの際に関し)前提としていましたし、極端にプレイングがいい加減なプレイヤーに対しての確認事項でもありました。ここに徐々に問題が持ち上がってきたのです。「〜してもよい」の数が減るにつれ、当然のように誘発忘れの数も増えてきました。そこへ“祭殿”の登場です。

 私、そしてその他の高レベルのジャッジがすべて、質問を受ける事態となりました。“祭殿”の誘発忘れをやらかしたプレイヤーにゲームの敗北を与えるべきなのでしょうか? 黙って見逃すべきなのでしょうか? “祭殿”の誘発は馬鹿馬鹿しいレベルに忘れやすく、そこにイカサマの余地はありません――“祭殿”にカウンターを置きたくない状況を考えるのはなかなか面倒かと思います――し、その上で競技レベルでたびたび見かける光景だったのです。こいつはまさに大嵐でした。なので、我々は開発部や高レベルジャッジやプロと何度も話し合い、どこを決着点とするかを議論してきました。

我々の目的は三つあります:

  1. 増加し続ける誘発忘れの違反(あるいは、ジャッジが誘発忘れを見逃すことを選んだ状況)への対処。

  2. 競技レベルのプレイヤーの「相手のためにプレイしている」ような感情の増加への対処。大きな賞のかかった状況で、対戦相手が《ファルケンラスの貴族》の誘発が自分にとどめを刺そうとしている時に、相手がそれを見落としたことを指摘することは、実に気分がよろしくないでしょう。正直であるがゆえに気分が悪いという状況は、プレイヤーには良く起こるものです(相手の《タルモゴイフ》が致死ダメージを受けていない事実は、間違いなく相手に伝える義務があります)が、それはできるだけ減らしたいと思っていますし、それが些細なことならなおさらです。

  3. 不自然な時点で発生する“奇妙な”誘発の数の減少。我々がこの類いをすべて取り除こうとしているわけではありません――間違いなく大変な事態になってしまいます――が、見逃した陰鬱の誘発が次のターンに発生するべきか否かという議論があるのは我々も理解しています。そのような状況を減らすことは、副次作用としては悪くありません

 以上を踏まえると、我々が、後に取り消しになった最初のバージョンに至った経緯を理解してもらうのは難しくないでしょう。技術的見地からすると、これは理解し得ます――カードには「〜してもよい」とは書かれていませんが、これまでにおいて一般的には「〜してもよい」が書かれていた物に対して一連のルールを設定し、遡ってそれを適用することにしたのです。

 これには問題があることは分かっていましたが、人々が頭に止めておく必要がないものでした。今になって思うに、「カードを引く」をそこに置くことはやり過ぎでしたし、そこを抜きでルールを発表していたら、まあそれなりに受け入れられていたとは思います。実際のゲーム対するインパクトは、マナ・バーンを排除したこと同様な事態になるはずでした。五百ゲームに一回、誰かが強化効果を無視することが関連してくる事態が発生するでしょう。一般と競技を分けたことは若干気になりましたが、例えば意思疎通規定の違いに比べれば、それほど大きな影響は与えないと考えていたのです(カードを引くことを除いては。まあ、そこは確かにミスです)。

 しかし、そこには我々があらかじめ気づくべき大きなミスがありました。新しいルールは、プレイヤーにとって覚えることが多すぎたのです。もちろん、これまで関係があった人々――手練れのプロとか――ならこのルールを理解できるでしょうし、その方向性を気に入ってくれるでしょう。しかし、その他の人々にとって、我々は誤解という名の大きな壁をその上に立ててしまったことになり、その過ちから来る結果は悲惨なものです。インターネット上では、当然のようにさらに悪い事態になっていました。人々は声高に、我々は《闇の腹心》の能力を使わないことを選べるようになる、これこそがマジックの終わりであると叫んでいたのです(やれやれ)。ジャッジ、特に競技イベントにおけるジャッジはルールに従ってますから、それをどう適用するかを学ぶことができます。プレイヤーは他のプレイヤーから断片的に情報を仕入れる上に、正確なバージョンであるという保証もありません。ジャッジというものが存在するそもそもの理由ですね!

 最初の解決法がうまくいかないことがあっという間に明確になったことで、我々はルールをもう少しジャッジ側に近づけた難易度にする必要が出てきました。これはトリッキーで、誰もが納得するまでには若干の時間を必要としました。まじめな話、まさに垓に達する相互作用を当たったものです(数字の単位ですよ。為念)。道が開けるきっかけとなったのは、プレイヤーが自分自身の誘発に対する責任があるという事実が重要であるのに気づいたことでした。“間違い得る”ものではないということです。つまり、誘発が起こらないことによる結果を見据えた上で、相手にその能力を発生させる権利を与えるというものです。ここまでくればやるべき基本事項ははっきりしています。残りの実際の境界線を押さえる仕事は、マット・タバック、ジェイソン・ルマヒウ、デヴィッド・リフォード=スミス、クリス・リヒター、たまたまIRCにいて様々な提案をしてくれたレベル3ジャッジ等が行っていきました。完成に当たっては、さらに多くの人々に感謝をしたいと思います。開発部の面々(特にアーロン・フォーサイスとエリック・ラウアー)、ルールグルの面々(ダニエル・ショーンバッハ、イーライ・シフリン)、高レベルジャッジのコミュニティ、特にジェフ・モロウには、文法的に大きな改善を成してもらいました。文章の読みやすさ、理解しやすさに関しては、彼の手によるものです。そして長く曲がりくねった道のりの末、ようやら皆さんの手元にお届けしたのがこれです。結果としては、いい収まりどころだったと思っています。

 最後に皆さんに理解して欲しいことを。このルールは競技レベルやプロレベルの話です。一般レベルは競技的なレベルとは違っており、プレイヤーは互いに助け合うことを求められ、これには強制的な誘発の指摘が含まれます。この変更に対して疑問があったとしても、そのほとんどは一般レベルには適用されません。今と変わらないフレンドリーな気分で進めて欲しいと思います。


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