タイプ1、テイク2

――タイプ1の週にようこそ

マーク・ローズウォーター
Translated by Yoshiya Shindo

(オリジナル:http://www.wizards.com/default.asp?x=mtgcom/daily/mr102

 ようこそ、タイプ1特集へ。今週、我々はマジック最古のフォーマットを掘り下げていこうと思う。コラム「マジックの作り方」の読者を長いことやっている方々、あるいは先日の要約コラム(「100まで数えて」)を読んだ最近の読者の方々であれば、1年半ほど前に私がR&Dのタイプ1に対する立場に関して書いたコラム(「タイプ1のプレイング」)を覚えているだろう。

 新たに私のコラムを書く前に、まずは古い方のコラムを見てみることにした。で、一通り読んでみて、そこには私がタイプ1について触れようとしていた多くの点が触れられていることに気がついた。しかしそれは十分ではなかった。そこで、ちょっとした気分転換に、私は古い方のコラムを再掲して、そこに必要に応じてコメントを足していくことにした。こうすれば、単なる再掲載じゃなくて、そこに新たなコラムとしての価値も出てくるだろうからね。

 それと、来週から2週間は“今年度のベスト”週間になるんで(いいかい、我々にだってクリスマス休暇があるんだよ)、その手始めとしてはこいつはいい感じになるだろう。今回、黒字で書かれているのが旧コラムで、そこに緑で追加されているのが新しいやつだ(クリスマスには緑が似合うだろう。先週は赤だったしね)。

タイプ1のプレイング

タイプ1、テイク2

――マークが語る最古のフォーマット

 先月の受信箱ネタのコラム(「新着メールあり」)で、私はR&Dのタイプ1に対する立場について書いた。そこでの私の手短かな回答は、インターネット上でのタイプ1のコミュニティによる声高な反応を引き起こした(今回のコラムの比じゃないとは思うけどね)。そんなわけで、今回のテーマはコラム1本に値すると思ったんだ。今回の目的は二つある。一つはR&Dがタイプ1をどう考えているかという質問に答えること、もう一つは、タイプ1プレイヤーに起こっている問題に対する議論を公にすることにある。


 シドノーでのインビテーショナルでタイプ1をプレイするジョン・フィンケル
 素晴らしきコピーライターのアーロン・フォーサイスも、オーストラリアの町の名前は苦手のようだ。

 先に進む前に、あらかじめ言っておく。私はタイプ1をここ数年プレイしていない。タイプ1のメタゲームをわかっているなんて言うつもりもない。最近、全米選手権の場で、私はあるプロプレイヤー(興味のある人のために言っておくと、パット・チャピン)と現在のタイプ1のメタゲームについて話し合った。私は彼ならこのフォーマットの動向がわかっていると思ったからだ。これまでのタイプ1に対するコメントはそれが元になっている。先に謝っておくけど、今回のコラムで最近のメタゲームを理解するなんてことは言わないよ。そんなことしようものなら、また叩かれちゃうからね。

 私は今でもタイプ1のメタゲームを理解してるなんて言うつもりはない。しかし今回はちょっとはっきり言わせてもらおう。私はそれを理解するつもりすらない。私がタイプ1のメタゲームについて間違ったコメントを入れるたび(まあ、メタゲームについて語るときはいつでもなんだけど)、私がメタゲームをわかっていないことに対して轟々たる怒りの反応がいくつも見られる。それは私の仕事じゃないのだろうか?

 ぶっちゃけて言わせてもらえば、そいつは私の仕事じゃない。私の仕事はデザイナーであり、面白いカードを作って様々なメタゲームをひねったり曲げたりして新たな方向へ向かわせることだ。そのためには、私は様々な種類のゲームに関連のある要素の一般的なパワーレベルを理解する必要があるが、だからといって今現在のすべてのデッキを知る必要は無い。ウィザーズ社はトーナメント用のフォーマットを10種類(タイプ1、タイプ1.5、エクステンデッド、スタンダード、ブロック構築、シールド、ブースタードラフト、ロチェスタードラフト、チームシールド、チームロチェスタードラフト)サポートしている。この内一つの環境を理解しようと思ったら、非常に長い時間を必要とするだろう。いくつかを理解しようと思ったら、それはフルタイムの仕事になってしまう(実際に私にとってはフルタイムの仕事なんだがね)。じゃ、すべてを理解することは? そんなことは可能だとすら思えない。

 そんなわけで、自分の仕事は人々が実際に気にかけているフォーマットを気にかけることだと、私は確信している。そしてこれこそが、私がタイプ1のプレイヤー(あるいはあらゆるフォーマットを公平に支持する人々)に、そのフォーマットに関しての文書を書いて公開することを強く推している理由だ。わかりやすい現実的な例を用いて問題と解法を明確にした文章は、きっと大きなインパクトを与えるだろう。

「あの頃は……」

 タイプ1プレイヤーの関心ごとを理解するためには、まずはこのフォーマットの歴史を理解することが重要だろうと思う。そこで、タイムマシンに飛び乗って、ダイヤルを1994年の初めにセットすることにしよう。この日付の重要な理由? それはタイプ1の誕生した頃だ。

 それ以前は、マジックには公式なデッキ構築ルールが無かった。ああ、確かにこの表現は完璧に正確ってわけじゃない。ルールブックには公式ルールが書かれていたけれど、当時はカードそれぞれの枚数の制限も決まっていなかったし、デッキの標準も40枚だった。しかし1993年の終わり頃、デュエリスト会議(Duelist Convocation)が設立された(ご存じない方のために説明しておくと、こいつはDCIの先駆になるものだ。“DC”の部分はここから来ている。Iは「国際(International)」だね)。1994年の冬、彼らの最初の活動が行われ、デュエリスト会議は公式のデッキ構築ルールを発表した。勝負にこだわるプレイヤーは自分たちのルールを持っていたけど、それは地方ごとに違っていたんだ。デュエリスト会議は初の世界規模の構築戦のルールを発表したことになる。

 私はキーとなるエキスパンションがゲームにもたらすインパクトについて、よく話題にしている。組織プレイというのも、決められたルールを変えることで実に意味深い効果を与えるというのは、なかなか興味深い点だろう。DCIの設立(当時はDCでしかなかったわけだけど)は、大々的な混沌の中にあった世界に秩序をもたらしたのさ。

 デッキの最小枚数は60枚に決められ、カードも各4枚に設定され、そして初の制限カードが発表された。当時は禁止カードは無かった。こうして初の構築フォーマットが生まれたんだ(シールドやドラフトはすでにウィザーズ社の社員によって、さまざまなコンベンションで非公式に紹介されていた)。当時はこのフォーマットはまだタイプ1とは呼ばれていなかった。これは単に構築マジックとか、単にマジックと呼ばれていたのさ。そんなわけで、1年間はすべてがうまく行っていた。

 昔からのプレイヤーは、当時がマジックの黄金時代だと思っているだろう。当時はタイプ1が唯一の構築フォーマットだったし、(若干のとんでもないカードを除いて)すべてのカードが適正だった時代だ。

 しかし、1995年の冬、重大な事態が起こった。ウィザーズ社がタイプ2と呼ばれるフォーマット(今で言うスタンダード)を発表したんだ。使いたいカードを何でも使えるようにするのではなく、印刷されているカードの一部に制限したわけだ。それに合わせて、これまでのフォーマットはタイプ1と呼ばれるようになった。一夜でマジックは二つに分かれてしまったんだ。当時のプレイヤーの大部分の最初の反応はどうだったかって? まったく受け入れがたかったね。俺たちのカードを使えなくするウィザーズってやつは何者だ、ってね(大事なことなんで覚えておいて欲しいんだけど、当時の私は単なる1プレイヤーであって、R&Dのメンバーじゃないよ)。

 しかしウィザーズ社は断固として譲らなかったので、我々は試してみることにした。まあ、正確に言えば一部は試してみたが、残りはタイプ1をプレイし続けた。そしてその結果、そいつが思ったより悪くないことに気がついたんだ。こいつは別なものだけど、これはこれで面白かった。R&Dも強さのレベルというものについて学んだようで、タイプ2はより安定していた。我々のうちの何人かにとっては、これは良いことだった。しかしまあ、別な何人かにとっては、これは彼らが愛していたマジックじゃなかったんだな。この時、プレイヤーが初めて別れていった。

 そして時が過ぎるにつれ、新たなフォーマットが姿を現した。タイプ1とタイプ2の間はすぐに大きく開き始め、そこにタイプ1.5が生まれた(タイプ1.5は、タイプ1で制限になっているカードを禁止にしている以外は、すべてのカードを認めている)。新たな分離だ。やがて再び感覚が開き出し、中間のフォーマット、エクステンデッドが作られた。新たな分離。その一方で、長い間存在はしていた限定戦(シールドやドラフト)が、新たなプロツアーというイベントのために格上げされた。さらに分離。1997年のプロツアー・パリでは、まったく新しいフォーマット、ブロック構築が導入された。マジックのパイはいまや細切れだ。かつてはただ一つだったゲームが、いまや8種類の異なるフォーマット(タイプ1、タイプ1.5、エクステンデッド、スタンダード、ブロック構築、シールド、ブースタードラフト、ロチェスタードラフト)で認定されることとなったわけだ。そして、この時点ではまだチーム戦は始まってすらいないんだ。

 話を現在まで戻そう。タイプ1のフォーマットは残ってはいるが、かつてほどの盛り上がりはもう無い。当時は唯一のフォーマットだったタイプ1は、今では少人数の、しかし熱心なファンに支えられている。

 この文章を最初に書いたときの意義は、私がタイプ1のコミュニティの概要をよりよくつかむことだった。それは私が当時考えていたよりも大きく、主義主張があった。例えば、「タイプ1のためのプレイング」は、歴代2番目にメールが殺到したコラムだ(トップはわずかの差で「モンスがやらされて」なるゴブリンのコラムだ)。となれば、今週のコラムにもずいぶんとメールが来るだろうね(こいつは先週のコラムでの「アングルード2を出せ」の波と一緒になってくるだろう)。

フライパンの外

 上で約束したとおり、私は今回のコラムで、タイプ1のコミュニティから発生したいくつかの質問に答えていこうと思う。私の意図は、この状況をよりよくするための意見交換の助けとして、いくつかの決定の背後にある理由に光を当て、どんな制限に我々が縛られているかを説明していくことだと理解していただきたい。

 「どうしてもっと多くのタイプ1のトーナメントが開かれない? どうしてもっと高いレベルのタイプ1のトーナメントが無い?」

 これがどうして小見出しにならなかったんだろうな。直しておこう。

 「どうしてもっと多くのタイプ1のトーナメントが開かれない? どうしてもっと高いレベルのタイプ1のトーナメントが無い?」

「どうしてもっと多くのタイプ1のトーナメントが開かれない? どうしてもっと高いレベルのタイプ1のトーナメントが無い?」

 第一に、これはR&Dの問題というより組織プレイの問題だということは言っておくべきだろうが、できるだけ現状を説明していくことにしよう。ウィザーズ社は企業として、マジックのすべてのフォーマットをプロモートするために使える資源は限られている。

 ちょっと話を戻して、まずはここでの“タイプ1”という単語の定義をしておこう。私は大会レベルのフォーマットとしてのタイプ1の話をしている。多くのプレイヤーはタイプ1をカジュアルプレイのフォーマットとして、禁止制限リストになんとなく従っている状態だ。このフォーマットでなら、《Thallid》だろうが《黒き剣のダッコン/Dakkon Blackblade》だろうが何だろうが、どれだけ古いカードでも好きなように使えるからね。これは素晴らしいことだし私もこの手の遊びに賛同するが、これが組織プレイの話となると、本当に最強のカードのみがインパクトを与えるこのフォーマットの対戦の側面の話をしていくことになる。頭に入れておいてくれたまえ。

 前回のメールから察するに、ここのところは強調しておいたほうがよさそうだね。組織プレイはどちらかというとマジックの対戦の側面にスポットを当てる。だからと言って、“カジュアルな”タイプ1が人気が無いってわけじゃない。あくまで、そいつは組織プレイにおけるタイプ1の存在をより良くするための議論というものからは、少々外れてるってだけの話だ。

 我々が資源をフォーマットごとに分け与える場合、大きく二つの点が重要になる。

 人気――状況がいい勝負になっているようなら、我々が一番注目する点は、世間が何をプレイしたがっているかだ。もし君たちがみんな我々に特定のフォーマットをプレイしたいと言ってくれるなら、我々はそれに従うだろう。最終的に、我々は君たちみんなに、全体としてゲームを楽しんで欲しいんだ。

 このカテゴリーは、タイプ1(とタイプ1.5)にとっては最大の問題点だ。率直に言わせていただいて、我々のデータによれば、タイプ1はそれほど人気が無い。ご存知の通り、我々は毎年どれだけの認定トーナメントが開かれているかを記録している。この数値は、大まかに3つのカテゴリーに分けられている。すなわち、構築(スタンダード、エクステンデッド、ブロック構築)と限定(シールド、ロチェスタードラフト、ブースタードラフト)とヴィンテージ(タイプ1とタイプ1.5)だ。以下は、過去5年間の(チーム戦でなく個人戦の)トーナメントの開催数を、1000の代で丸めたものだ。

1997 1998 1999 2000 2001
構築個人(スタンダード、エクステンデッド、ブロック構築) 11,000 20,000 20,000 33,000 47,000
限定個人(シールド、ロチェスタードラフト、ブースタードラフト) 9,000 19,000 24,000 31,000 42,000
ヴィンテージ個人(タイプ1、タイプ1.5) 4,000 3,000 2,000 3,000 3,000

構築個人年間比率 46% 48% 43% 49% 51%
限定個人年間比率 38% 45% 53% 47% 46%
ヴィンテージ個人年間比率 17% 7% 4% 4% 3%

 ヴィンテージのトーナメントは開催数が少ないだけでなく、比率も年を経るにつれ下がってきている(公平に言えば、これによるサポートの不足が下降スパイラルとなっているだろう)。

 私は、この最後のカッコつきの文章についてかなり叩かれた。多くのタイプ1プレイヤーは、数が減ったのは原因ではなく、ウィザーズ社がサポートをしなくなった結果だと感じているようだ。

 このカテゴリーは、タイプ1の最大の障壁であると同時に、最大の機会でもある。そこまだ知られていないヴィンテージの集団があるなら、我々に教えて欲しい。地元のトーナメント主催者にお願いして、タイプ1やタイプ1.5のイベントを開いてもらうといいだろう。Apprentice上で遊ばれているタイプ1は我々にとってはあまり意味を成さないが、地元でタイプ1が盛り上がっているという情報は、我々にこのフォーマットに対する未開の可能性を教えてくれるんだ。それがどれだけ面白いものかを主張して欲しい。それが我々に対するものならもっと良いだろう。

 参加しやすさ――このカテゴリーは、どれだけそのフォーマットに参加するのがやさしいかを意味している。その大きな要素は四つあって、時間、人や場所、コスト、カードの入手しやすさに分かれる。タイプ1は最初の二つに関してはよくやっている。ゲームは手軽ですぐ終わるし、対戦相手も一人しか要らない。しかし、三番目と四番目のカテゴリーは問題だ。フォーマットのシングルカード(もちろん、戦略的に重要なもの)の価格は段違いに高く、中古市場でも数百ドルはする。さらに、カードは枚数的にもエリア的にも低すぎる状態で限られていて、マジックの世界においてはほとんど手に入れることが不可能になっているんだ。


最新のInQuest誌によれば、これら3枚の平均価格の合計は950ドルというべらぼうな値段になる。

 このコラムに関して言えば、このキャプションに関する突込みが一番多かった。多くのプレイヤーは、私がタイプ1にかかる費用を誤って伝えていると感じていたようなんだ。ここにおいて一番皮肉な点は、このキャプションを書いたのが私じゃないということだろう。ほとんどのキャプションはサイトの編集者(この場合はアーロン・フォーサイス)によって書かれている。とは言うものの、アーロンの指摘は妥当なものだろう。タイプ1は高くつく。

 公平に言わせていただいて、この値段の高さは「参入の障害」だ。このフォーマットを始めようと思ったら、かなりの量のお金が必要となる。実際の話、一度参加してしまえば、その後にかかるお金はスタンダードやエクステンデッドを続けるよりも安く済む。しかし、この始めるためのコストというのが経済的に障害になるんだ。

 タイプ1のコミュニティからの反論は、このフォーマットにはいくつもの「安価な」デッキが存在するというものだった。それに対する私の返事? ナンセンス! 第一に、その手の安価なデッキと言う物は、現実的にトップレベルのデッキじゃない。レベルの高いトーナメントのデッキを見てきた私が言うんだが、申し訳ないが50ドルのデッキがトップ8に残ったのなんか見たことが無い(確かに例外は存在するかもしれないが、それは何と言うか――本当に例外だ)。第二に、その手の安価なデッキとして発表されたデッキのほとんどが、高価なカードを、特に複数枚投入することでより強くなるものだった。第三に、そのフォーマットをプレイするということは、そこに一つか二つしか選択肢が存在しないってこととは訳が違う。そのフォーマットでの強いデッキのほとんどが経済的な理由でプレイできないとしたら、そのフォーマットには事実「始めるための高い壁」が存在するんだ。

 私はマジック・インビテーショナルにおいて、毎回タイプ1のレベルのフォーマットを採用している(ただし今年はイベントがMagic Online上で行われるんで、ちょっと無理になってしまったけどね)。そして毎度開催するたびにプレイヤーの何人かに言われるのが、カードを手に入れる事の難しさに関する不平不満だ。言っておくが、彼らは広範囲にコネを持っていて、必要なら経費として処理のできるプロプレイヤーたちだ。彼らにとって問題があるなら、平均的なプレイヤーはおして知るべしだ。これはあくまで状況証拠だけど、タイプ1がちょっとかじってみるのがどれほど難しいフォーマットなのかを指し示しているだろう。そこには我々ゲーム世界の人間が言うところの「始めるための高い壁」が確かに存在する。

 このコラム自体は気に入っているんだけど、上の例はひどいね。プロはタイプ1のカードを手に入れるのが大変だって? いいかい、彼らはブロック構築のカードを手に入れるのだって大変さ。状況証拠としてはちょっとさえなかったね。

 これら一通りの理由により、タイプ1は国際イベント(全世界のプレイヤー基準で行うイベント)としては非常に用いるのが難しいフォーマットなんだ。したがって、タイプ1のプロツアーとか、タイプ1のグランプリには現実的な可能性が無い。だからと言って大規模なタイプ1のイベントを行う可能性が無いかというとそういうわけではないが、あくまでヴィンテージのファンが十分いることが立証されている場所でなければいけないだろうね。

 この入手の困難さが、タイプ1の最大の難問だ。世界的な規模で言えば、必要な数の《Black Lotus》すら揃わない。そして我々の再版ポリシーは変更するつもりは無い。これについては次の項で改めて。

 まとめてみると、より多くのタイプ1トーナメントが存在しない理由は、大衆がより多くのタイプ1トーナメントを望んでいるという証拠が無いことによる。そうでないというのであれば、ぜひとも我々にその事実を教えて欲しい。君がタイプ1の認定トーナメントを数多くプレイすれば、それだけ我々が注目する度合いも高まるんだ。プロツアーやグランプリに限って言えば、とんでもない値札のついた数少ないカードという物が、我々に国際的なタイプ1トーナメントを開く気を失わせている。しかし、タイプ1をプレイする機会を増やす方法は他にもたくさんあるだろう。そのための鍵は、それが盛り上がっている場所へイベントを持ってくることにかかっている。

 このコラムが最初に発表された後、R&Dは最初の指摘が正しくない事実を認識することとなった。確かにタイプ1に対するサポートを求める人たちがいる証拠は明らかに存在する(小さな集団ではあるが、取るに足りないというほどではない)。ただし、それ以外は間違ってはいないようだ。国際イベントを開くための障害はあまりにも高すぎるんだ。

「どうしてカードを再版しない? どうして代用カードの使用を認めない?」

 我々がタイプ1におけるコストの問題を取り上げると、四通りのうちの一つの反応を受ける。第一は、単純に我々に納得してくれる人たちだ。これ以上言うことはないだろうね。

 第二は、タイプ1はそんなにお金がかからないと言う人たちだ。これは単純に間違っている。Oscar Tanのコラムのデッキリストを引っ張り出して、それぞれのデッキがInQuest誌のシングルカード価格でいくらするかを調べてもいいんだけど、結果は察しがつくだろう。私にとってのこのコラムのポイントは、君たちに対して正直に発言することだ。だから君たちも私に正直になって欲しい。タイプ1はお金がかかる。プレイヤーXが明日タイプ1を始めようと思ったら、彼は懐からそれなりの金額を支払わなければいけないだろう。これが単純な現実と言うものだ。

 これについては前述の通り。

 第三は、この問題はウィザーズ社が再版ポリシーを破棄して、タイプ1の中心となるカードを再版すれば解決するだろうというものだ。これは微妙な問題なので、最初からその中心部に飛び込んでいこう。再版ポリシーは重要な理由により存在する。マジックは、ゲームであるばかりでなく、コレクターズ・アイテムでもあるのだ。ウィザーズ社もそれに従いマジックを市場に出し販売している。多くの人々が我々のゲームに対し何千ドルもお金を支払っている。彼らがそうするのは、我々がこの合意を忠実に守ることを理解しているからだ。

 “マジックを作る”ということのテーマの一つは、様々なタイプのプレイヤーが遊べるゲームにすることだ。そんなグループの一つ(ついでに言うなら、小さなグループと言うわけじゃない)は、カードの価格と言うものを非常に気にする。我々のこのグループに対する責任は、ある範囲のカードの再版を行わないことにある。とは言え、再版可能なカードも山ほど存在する。トーメントやジャッジメントでお分かりの通り、R&Dは昔のカードを可能な限り復活させる機会を見つけようとしている。R&Dだってゲームのファンなんだ。我々の多くが、ゲームを最初の頃から遊んできている。中には、それよりさらに昔から関わってきている者もいる。我々だって、現在のプレイヤーたちとマジックの過去を分かち合ってきたんだ。しかし、そこには踏み越えてはいけないラインがあるんだ。

 この点の皮肉な部分は、ゲームの少数派となりつつあるタイプ1のプレイヤー達が、さらなる少数派であるコレクターを排斥しようとしている点だろう(もっとも、すぐ後で書くけど、私は彼らを少数派だとは思っていない)。多くのメールで、タイプ1のプレイヤーの何人もが、このゲームにはコレクターなんか残っていないということを私にわからせようとしてきた。彼らが言うには、パワーナインを(違った背面のデザインで)出すことで腹を立てる人なんか一人もいないだろうということだ。まあ、婉曲的に言わせていただくなら、そんなのはまったくの戯言だ!

 さらに言わせていただこう。コレクターのグループはタイプ1のプレイヤーのグループよりも大きい。理由が分かるかい? どんなプレイヤーだって、何らかのレベルでコレクターだからさ。例えば、多くのプレイヤーはスリーブをかけてゲームをしている。何故か? 彼らはカードの値打ちという物を気にしてるからさ。そしてカードの価値を気にしだしたところから、彼らはコレクターになる。

 と、ここで多くのプレイヤーが割り込んでくる。彼らだって、タイプ1を楽に始めるために、カードの価値が下がるのを望んでいるだろうと言うのだ。残念ながら、これはすべてのプレイヤーが望んでいることではない。ウィザーズ社が《Black Lotus》を再版する日は、すなわち我々がプレイヤーの懐から何千ドルをも取り上げてしまう日になってしまう。我々が彼らとの非常に真剣な約束を破ることで、彼らは我々を信じるべきでないことを学ぶだろう。そして重要なこととして、彼らは我々の未来のカードに投資すべきでないことを教え込んでしまうんだ。

 一言で言えば、こいつは最悪のビジネスだ。我々が得るであろう物は、我々が失うものに全く見合っていない。なので、我々はそれを行うことはしない。R&Dはタイプ1のコミュニティをより理解するようになってはきているが、こいつは単純に絶対変わる事の無い議題だ。

 第四は、費用の問題は代用カードを認めることで解決すると主張する人々だ。それに対する私の回答は単純だ。マジックは二つの理由で存在している。第一に、これは最高のゲーム(私にとって歴代最高のゲームだ)であり、入れ込みゲーマーの集団でもあるところのR&Dは、このゲームを生かし続けることの義務を感じている。第二に、これはウィザーズ社の収入源であり、その親会社であるハズブロの収入源でもある。二番目が無ければ、一番目だって無くなってしまう。

 我々が代用カードを認めてしまえば、我々は望まざる道へと進むことになってしまう。混乱は増すばかりだろう。中古市場(我々はこれに関しても気にかけているが、それはまた別のコラムで)にも影響するだろう。しかし最も重要なことは、これによりプレイヤーがカードを買う数が減ってしまうことだ。これは我々にとっても良くないことだし、長い目で見れば、君たちにだって良くないことだ。我々の収入が減れば、我々が行う様々なこと、例えば組織プレイやmagicthegathering.comだって立ち行かなくなるだろう。私はゲーム会社における“ゲーム”の部分を話すのが好きだが、“会社”の部分だって同じように非常に重要なのだ。

 これについては今でもそう思っているが、代用カードを認めさせることは、タイプ1主義者の行き止まりに過ぎないとだけは言っておこう。ぶっちゃけた話、そんな事は絶対起こりえないよ。

 まとめると、タイプ1のカードの再版や代用カードを認めることは、ウィザーズ社の他の責任と矛盾することだ。今回は議題になりえる範囲を見つけ、可能ならそうする機会も設けたいとは思う。しかし、これは違う話だ。再版も代用カードも議題としては不適切なんだ。

「どうしてリチャード・ガーフィールドの目的から外れてしまうんだ?」

 この文句は何回も受けているから、私はその解答のための最も正しい情報源、すなわちリチャードに聞いてみることにした。私は尋ねた。「リチャード、R&Dは君の目的から外れていってると思うかい?」

Ancestral Recall

 彼は答えた。「いいや」

 マジックは進化し続け、常に未知の領域に動き続けるゲームとしてデザインされた。これまでのゲームと決定的に違う点は、プレイヤーに常に代わり続けるメタゲームへの理解を求めることにある。今日の戦略は明日には役に立たないかもしれない。このうねりはゲームを新鮮にし、マジックは、そのデザインから、常に自分自身の決まりごとから抜け出し続けていくんだ。

 これの問題点は、プレイヤーは決まりごとが好きだと言うことにある。人間は慣習の動物であり、基本的に変化を嫌う。常に変わり続けるゲームにおいて、プレイヤーが気に入っていた一面からゲームが離れてしまうことは、プレイヤーの心に傷をつけてしまうことになるだろう。

 R&Dにおいて常識となっているのは、プレイヤーが最も気に入っているセットとは、大抵そのプレイヤーが最初に遊んだセットだと言うことだ。最初のセットと言うのは大抵は特別なものだ。それはプレイヤーがマジックの魔法に始めて染まったときなんだ。タイプ1のプレイヤーの多くにとって、彼らの最初のセットはアルファ版だ。

 私が思うに、タイプ1のプレイヤーの多くは、アルファ版を間違った理由で持ち上げている。確かに、デザイナーであるリチャードは、数多くの面白いカードに関して興味深い選択をしている。そして、アルファ版には強力なカードがたくさんあるのも事実だ。しかし、だからといってそれがアルファ版が偉大だと言う理由にはならない。アルファ版の偉大さは、リチャードのカード選択にあるのではなく、それが示してくれた全体の構造にあるんだ。彼は確信的な選択をしたのではなく、ゲームの汎用性がデザイナーに常に異なった決断を求めているわけだ。

 アルファ版の美しさは、そのゲームの存在哲学の中にある。現在のセットがアルファ版(やレジェンドやリバイズド版やお気に入りのセット)と違っているから認めないと言うことは、リチャードの視点をまったく見損じている。マジックは生命ある、呼吸をしている存在なんだ。それは子供と同じように、我々の目の前で成長している。現在の子供が赤ん坊だった頃と違っているからと言って、彼らを認めないなんてことはしないで欲しい。

 デザイナーとして、私は過去から何が正しくて何が間違っていたかを学んできている。私のことを異端者と呼ぶ人もいるだろうが、アルファ版は完璧ではなかった。そこには欠陥もあった。それを一番最初に認めたのはリチャードだ。オリジナルのルールは、スイスチーズよりも穴だらけだった。カードの何枚かはイメージが外れまくっていた。そしてカードの強さは物によって極端だったんだ。

 しかし、これらの問題はアルファ版の本質を損ねはしない。似たような例として、合衆国憲法を取り上げよう。これは素晴らしい文書だけど、完璧とはいえない。現代の人々は、奴隷が普通の人の3/5の価値しか無いとか、裕福な白人の男性だけが投票を行うべきだなんて書かれていたことなんて信じられないだろうが、それがそこに述べられている壮大な理想を損ねるとは思わないだろう。

 さらに言えば、リチャードがデザイン時に考えていた仮定のいくつかが、ふたを開けてみれば全くの的外れだったことも忘れてはいけないだろう。そのような仮定で最大のものは、プレイヤーは1人につきスターター5個分ぐらいしか買わないだろうし、トレードも内輪でしか行わないだろうというものだった。この前提では、《Ancestral Recall》だって各種《Mox》だって危険からは程遠いもののはずだった。

 間違わないで欲しいんだけど、私はアルファ版が大好きだ。こいつは私にとって最初のセットだ。マジックで最高のセットの一位二位を争うだろう。しかし、こいつは完璧ではない。プレイヤーもこいつを過大評価するのをやめるべきだ。

 しかし、いいかい。もし私にタイムマシンがあって、アルファ版を変えることができるとする。そうだとしても、私は何も触らないだろう。何故か? アルファ版はゲームとして初登場するためのあるべき姿だったからだ。こいつは面倒で、めちゃくちゃで、そして最高に面白かった。私にも当時のマジックの素晴らしい思い出がある。

 しかし、現在のマジックは1993年の世界のセットとは違う。マジックのコミュニティはゲームの仕組みについてより理解を深めている。かつて検討に一年かかったカードは、いまや一週間で解析されてしまう。そして、組織プレイはゲームの機能の基本となっている。退化したセットはいまや面白みを持たない。現状のマジックの下でアルファ版を今発売したとしても、少しも楽しめはしないだろう。

 かつての日々とマジックが変わってしまった事を嘆いているタイプ1のプレイヤーは、マジックが9年前とは違うゲームであることを理解する必要がある。そして、それは悪いことじゃない。子供は成長し、それゆえに新しい役目や責任を獲得するんだ。

 それでも、我々はかつてのマジックを忘れてはいけない。ゲームの歴史はその特性において重要な一面だ。このゲームの最強の歴史家の一人として(そしてトリビアのマニアとして)、私はゲームの過去を、その頃は手を出していなかった人たちと共有するのが大好きだ。しかし、それはあくまで文章の中だけにするのも大事なんだ。

 タイプ1の楽しみは、過去と現在を分かち合う能力にある。子供の成長をずっと見守るようなものだ。しかし、赤ん坊は成長し代わっていく。この変化を無視することは、何がそれを特別なものとしているかを無視することだろう。

 この章に足すべきことは何も無い。最初から正しくいけているようだ。

「どうしてタイプ1向けのカードをもっとデザインしない?」


競技タイプ1の対戦は、歴代最強カードのギャラリーのようなものだ。

 この問いに対する答えは、なぜ私がタイプ1のメタゲームについて行かないかという事と密接に関係している。私にはタイプ1に影響を及ぼすようなことは大してできないんだ。最新セットが出るたびに、タイプ1のパワーレベルは上がっていく。これはつまり、時がたつにつれ、スタンダードのバランスを崩さずにタイプ1にインパクトを与えるようなカードを作ることが難しくなっていることを意味している。

 それは確かに不可能じゃないかもしれないが、私は自分のエネルギーをどこに向けるかを選ぶ必要がある。スタンダードのメタゲームに関する知識は、私がゲームの何に注目すべきかを教えてくれる。そして、ある特定のブロック構築環境について学ぶことは、未来のブロックのデザインに強烈なインパクトを与えてくれる。

 だからと言って、私がタイプ1に影響を与えるようなデザイン能力を上昇させられないって訳じゃない。しかし、助けは必要なんだ。話を先に進めよう。タイプ1に現在欠けている、必要なものは何か? 現実味のあるカードで、事態を揺さぶれるような物は何か? ぜひともmakingmagic@wizards.comまでメールをして、私に教えて欲しい。ただし、私が必要としているのは特定のカードじゃなく、タイプ1にプラスのインパクトを与えるようなカードの領域だ。未来のタイプ1に影響を与えたいと思うかい? チャンスだよ。

 このコラムが掲載された後、私はタイプ1用のカードをデザインすることにトライしてみた。その経験のいくつかはミラディンに登場している。その結果はまだ不明だけど、そこに至る手順はなかなか興味深いものだった。タイプ1ほどの強力なフォーマットに対して適切であり、なおかつスタンダードやエクステンデッドにおいて爆弾カードとならないカードを作ることは、なかなか手ごわい挑戦だったね。

 私がこの章を書いている理由の一つは、私が行ったことに対するタイプ1のコミュニティの意見に非常に興味があるからだ。ただし、ペンをとる前に、デザイナーがあるフォーマットのためのカードをデザインするときの目的というものについてちょっとだけ語っておこう。マジックのデザイナーの仕事は、変化をもたらすことだ。我々が環境にカードを投入する場合、それがプレイヤーに順応を強要するものであって欲しいと思っている。我々はプレイヤーに古い仮定から新しい方向への朝鮮を求めている。デザイナーがあるフォーマットに注目している場合、かれは混乱をもたらそうとしているんだ。既知の世界を未知の世界へ変えようとしているのさ。

 何故デザイナーはそんなことをするのか? それは、マジックの中心が発見のゲームだからだ。マジックが他のゲームと違うところは、ゲーム自体の変化し続ける力にある。そしてその変化は、デザイナーが振り子を違う方向に押してやることから発生する。

 そして、変化は重要ではあるが、それだけが目的じゃない。デザイナーは遊んで楽しいカードを作りたいし、デッキ構築やプレイングにおいて興味深い決断をもたらすカードを作りたい。そこで、私に評価を送りたい人のために、こんな質問を用意してみた。

  1. ミラディンはタイプ1のメタゲームを変えたか? そうだとしたら、どのように?
  2. 特にどのカードがプレイされ、どのカードが変化を起こしたか?
  3. タイプ1でのミラディンのカードは、遊んでいて面白い?
  4. タイプ1でのミラディンのカードは、興味深いプレイングをもたらしている?
  5. タイプ1をにらんだカードがもっと欲しいと思う?

 君がタイプ1のデザインを気にしているなら、ぜひとも返事を書いて欲しい。私は教わったことからしか学べないのでね。

話をまとめるに

 世の中には、一本のコラムで書ききれないほどの多すぎる問題がある(神様は私ががんばってくれているのをご存知とは思うけど)。しかし、あなたが物事を変えることができる方法と言うものについて、少しはわかっていただけることを願っている。私は改良することが可能な領域と、議論を行わない部分を君たちに示した。私の受信箱はいつだってオープンだ。君が特にタイプ1について(他の内容でもいいけど)問題を抱えているなら、メールを送ってきていただきたい。すべてのメールに返事は書けない、必ず全部読むことは約束しておくよ。

 ランディがタイプ1特集を組むと言った段階でわかってたことだけど、大量のメールが来るだろうね。ドンと来い!

 私は今回のコラムを前向きに締めたいと思う。そこで、取り組むべき問題を二つばかり最後に示そう。第一に、確かに世間にはタイプ1について書かれた文章が欠乏しているのは間違いないところなので、magicthegathering.comなりサイドボードなりで、実際のタイプ1に関する文章を載せることを検討しておこう。第二に、過去においてウィザーズ社がタイプ1選手権をスポンサーすべきかどうかが話し合われてきている。皆さんがどう思っているか、ちょっとアンケートをとってみたい。

 (訳注:ここにアンケートがあるんだけど略)

 まあ、結局答えは片方に寄っていた。タイプ1選手権は非常に人気があることが証明され、どうやら定期イベントになるようだ。タイプ1の文書と言うことに関して言えば、magicthegathering.comとサイドボードが合併されたことで、タイプ1向けの文書が載るチャンスは増えたと思っている。

 今週はこれで終わりだ、来週は、私の大好きなクリーチャー・タイプについて語ろうと思う(ヒント:オリジナルの《樫の力/Might of Oaks》の話が出てくるよ)。

 申し訳ないが、リス特集再びってわけじゃないよ。来週は私が2003年に書いたコラムの中でもっとも重要だと思うものの再掲載になる予定だ。どれだか興味があるかい? また来週見に来てくれたまえ。その翌週は、私のコラムの中でも最も面白いと思うやつだ。その次の週は何になるかって? ダークスティールのプレビューさ。君たちの年末が、幸せで安らかであることを。

 それまでの間、君の最初の手札に《Black Lotus》があることを祈念しつつ。

 それまでの間、君にも再びチャンスがあることを祈念しつつ。


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