Dreamblade Story 『茨の城砦』


III.狼

ロビン・D・ロウズ
Translated by Yoshiya Shindo
Original:http://www.wizards.com/default.asp?x=dbm/article/20060724a

 撃たれた肩から流れた血は鮮明な青に違いなかった。そして、ケンドラにはそれが何を意味するかがわかっていた。ここは夢の世界だが、同様に覚めた現実でもある。彼女は脱色されたような白い草の上を後ろに這いずった。うなるような風が草を彼女の顔や腕に叩きつけていく。空に響く泣き声は高くなっていった。

 彼女を撃った民兵の制服を着たゾンビが近づいてきた。渋面が歪んだにやけ顔へと変わっていた。無理に作った笑みが、上唇の干からびた皮膚に裂け目をこしらえた。黒ずんだ組織が輪ゴムのように剥がれて垂れた。ゾンビは手の甲でそれを剥き取ると、いらつきから甲高い声を上げた。右手の異様なピストルと左手の警棒を、どちらが威圧感を与えるかを考えているように弄んでいる。

 それはケンドラの目の前にどんどん迫ってくる。彼女の脚から力が抜けていった。ゾンビの喉から笑い声が絞り出された。それピストルをホルスターに収めると、警棒を両手で握った。自分自身の力でいくことに決めたようだ。

 これは夢よ。ケンドラは自分自身に訴えた。時々夢の中の事を操れたじゃないの。やればできるわ。やつを追っ払うのよ。やつを追っ払うのよ。

 ゾンビは横柄に、その場を楽しむようにさらに進んでくる。ケンドラは表情から恐怖を押しやり、ポーカーフェイスを保とうとした。自分の無力さで相手を楽しませることなんかない。

 いいわ、と彼女は思った。消せないんだったら、何かに変えちゃえばいいのよ。ウサギにするとか、前彼にするとか。

 それは彼女の上に立ちはだかり、警棒を振り上げた。

 ケンドラは必死に念じた。

 彼女は警棒が頭に当たって鈍い音を立てるのを聞いた。赤い斑点が飛び散り、痛みを知覚する。倒れたときに背中が地面に当たり、さらに痛みを増した。肩の傷が少しでも治っていたとしても、これで再びやってしまっただろう。もっとも、そんなことはほとんど関係がなかった。ゾンビはさらに彼女を殴り続けていた。裁判所では、彼女はあらゆる事件を叩きのめすのだろう。でもこれまで戦ってきたものは、ひどい横領だとか、一連の外傷の写真だとか、他の誰かの目撃証言とかだった。

 起きなさい。彼女は念じた。起きるのよ。

 殴打が突然止まった。甲高いうなるような声が、さっきまで気づかなかった近くの崖にこだましている。ケンドラの耳に組織の千切れる音が届いた。彼女は転がって何が起こっているかを見ようとした。

 人狼がゾンビに襲い掛かっていた。まるで映画のようだ――涎にまみれた狼の頭がついた灰色の毛皮の人物がそこにいたのだ。足や膝や腰や腕には、装飾風の青銅の鎧がつけられていた。しかし、その念入りな装飾を除けば、他には人間としての証拠は何もなかった。人狼がゾンビに襲い掛かると、ゾンビの骨ばった顔に驚愕の表情が浮かんでいた。ゾンビはホルスターに手を伸ばそうと必死だったが、人狼はその腕を後ろにねじり上げ、武器を手にさせまいとしていた。ゾンビのジャケットの袖の中で、何かが崩れる音がした。墓所の塵が破れた服から舞い上がる。ゾンビは警棒を何度も襲撃者の毛皮の肩口に打ち据えていた。狼は苦痛の声を小さく上げながらも、その手をゾンビの口の中に突っ込んだ。何かが折れる音が響き、ゾンビの頭蓋骨が下顎や首からねじり取られた。狼は立ち上がり、敵が膝をつくのを見下ろした。

 ゾンビの警官は、まるで死ぬのが決まっているというのに、そこから逃れるためにあらゆることをやろうとしているようだった。ケンドラは強張って力の入らない脚を無理やり伸ばして立ち上がった。彼女には、この人狼が親切心から自分を助けてくれたなどとは思えなかった。むしろ、ゾンビを襲って獲物を横取りしたって方がありそうだ。よろよろと下がっていく彼女の足首に白い草が絡みつく。起きるのよ、と彼女は自分に言い聞かせた。いいから起きなさいってば!

 突然、ゾンビの制服や干からびた皮膚に亀裂が走った。帽子や、そこに突き刺さっている斧までが、黄色がかったオレンジ色のエネルギーの噴流に脈打っていた。亀裂は広がり、苦悶にうめくゾンビはその光の中に埋もれていく。光はテレビの上を踊る静電気のように化け物を覆い、その身体を引き裂いていった。そしてついには閃光と共に、彼女の頭の中に苦痛と失望の叫び声を残し、その身体は分解して消え去った。

 人狼は涎が泡立ち黒ずんで光る唇を拭いながら、彼女の方を振り返った。彼女が逃げ出そうとするよりも早く、地響きを立てるような足音が起こり始めた。様々な方向から新たなゾンビの処刑者が押し寄せてきたのだ。そのどれもこれもに、ナタやつぶれた弾丸や手裏剣など、永遠に苦痛をもたらすような武器が刺さっていた。軍帽を裂くような斧を頭に突き刺したままのゾンビすらいる。そこから二体が彼女めがけて突っ込んできた。彼女は足に命じることもままならず、その場に凍り付いていた。しかし彼らが一心に目指していたのは人狼の方だった。

 「スラヴァを殺しやがった!」 一人が獣人を指差して叫んだ。

 人狼はかがんだまま、敵の襲撃に身構えていた。「やつと同じ場所に行きたいんだな?」 怪物の声は驚くほど滑らかだった。流れるようなブラジル人のアクセントだ。

 ケンドラは差し迫った戦いから這いずり逃れながら、人狼がブラジル人なんてのは変な話だと考えていた。そして彼女は現状を思い出し、意味はともかくこれは奇跡だと感じていた。

 傷がまだ開いているか調べようと自分の肩に手をやったのは彼女のミスだった。怪我の感覚が戻ってきたのだ。青い血が彼女の指を染めた。彼女は砂利だらけの地面に突っ伏し、狼とゾンビの戦いをただ見ていた。

 軍人風の死体は狼に向けて突進し、拳銃は火を噴き続けていた。人狼は身体を曲げて四足になると、二体の処刑者の左側に突っ込んでいった。墓場からの弾丸が頭をかすめていく。ゾンビは愚かにも囲む形で弾丸を撃ち続けていたので、何体かは味方の弾丸を食らっていた。弾丸が突き抜けると、その先には干からびた身体の欠片が尾を引いた。しかし、弾丸が胴体に大穴を開けても、負傷したゾンビの速度が変わることはほとんどなかった。ゾンビは拳銃を投げ捨てて人狼に飛び掛り、警棒で殴りかかろうとした。人狼は背中の一体を殴りつけ、それからもう片方に向かったが、ゾンビも共に殴りかかるのを止めようとはしていなかった。

 ケンドラは肘を支えに起き上がろうと必死だった。目覚めることも、目の前で戦う人物の姿を変えることもできないとしても、自分の夢のイメージ、少なくとも彼女の周りぐらいに対しては、それなりのコントロールを得ることはできるだろう。状況を変えるだけの精神が無いとしても、逃げ出せる形に自分を変えることぐらいはできるはずだ。

 彼女は自分に言い聞かせた。肩は怪我なんかしていない。そこに目をやらなければ、そこに怪我なんか無いはずだ。肩は普通に動くだろう。少なくとも、見ない内は。

 彼女は理論を実践した。よし、腕は動くみたいね。

 殴られた痛みは――これは現実じゃない。無視するのよ。立ちなさい、ここから逃げ出すの。

 ゾンビの攻撃も頂点に達していた。再び殴りつけようと彼らが警棒を振り上げるたび、血の滴――こちらは赤だ――が飛び散った。狼は苦痛にうなり声を上げていた。ゾンビたちの裂けるような口に勝ち誇った笑みが貼り付いている。

 一人が叫んだ。「反抗的な罰だ!」

 「俺たちを恐れないやつには、お仕置きが必要だ!」と別な一人が答えた。

 三人目は単に笑い声を上げただけだった。喉元から茶色の粉が舞い上がった。

 彼らは手を止めた。もうすぐ片がつく。人狼のつぶれた顔の目線と目が合った。だらしなく下がった顎からは血が流れている。

 奴らは顔を見合わせていた。ケンドラは一瞬この哀れな生き物とのシンパシーを感じていた。今や彼は怪物というよりは虐められた動物のようだ。

 「誰がとどめを刺す?」と最初のゾンビが尋ねた。

 人狼の半分死んだ顔に決意の表情が浮かび上がった。犬のような手は固く握り締められている。身体を振るって二本足で立ち上がった彼に驚いたゾンビが一瞬凍りついた。人狼は手で自分の胸を掴んだ。最初はためらいがちだったが、やがて確固たる目的を持って。それは自分の肉体を深くえぐりこむと、皮を大きく引き裂き、自分の胴体に大きく穴を開けた。

 その穴から生まれ出たのは、血糊でもつれた毛皮の、さらに大きく獰猛な、新たな人狼の頭だった。怪物は自分自身を引き裂くと、古い身体をまるで用済みの繭のように打ち捨てた。ゾンビたちは自信満々に茂みに投げ捨てたはずの銃を慌てて探しまわし始めた。後ろ足で立ち上がった人狼は以前の五割増しはあろうかという大きさで、周りを小さく見せていた。それはゾンビの盲撃ちの弾丸をまったく無視し、一番手近な敵を掴み、持ち上げて振り落とすと膝で真っ二つにへし折った。ゾンビの胴体と足は別々に灰色の草の上に落ちた。

 人狼は次に手近なゾンビへと飛び掛ると、頭から突き出している斧の柄を殴りつけた。首がねじれ、頭が何回転かした後に、それはビンの蓋のようにちぎれて地面へと落ちた。そして人狼は残った四人をまとめて片付けにかかった。一人の腕を引き抜き、それで持ち主を殴りつけると、そのまま仲間へも攻撃を続けていった。

 「恐れるだと?」とそれは、ケンドラが先ほど聞いたアクセントの声で、しかし幾分浮かれたように言った。「お前らを恐れなきゃいけないのか?」 人狼はゾンビの胴体に蹴りを入れた。胴は弧を描いて飛んでいき、音を立てて地面に落ちた。

 ケンドラの運動機能がゆっくりと立ち直っていった。始めはよろけながら、やがて草原を駆け出していく。彼女は来た道を逆にたどりながら、灰色の踏み跡を走っていた。エミリーがいると思われる場所からは離れてしまうが、妹が人狼に食われてしまったのであればケンドラには助ける術は無い。彼女の背後では、殴り引き裂く音が続いていた。彼女は振り返らなかった。とにかくこの夢の風景から逃げ出すまで走り続けた。ケンドラは飛ぶまでは行かなかったが、たっぷり五十センチは地面から浮かび上がっていた。こうすれば、揺れ動く草に足を絡め取られることも無い。

 そしてようやく、彼女は骨の色の草原を離れ、鶏が群れを成して枝に腰掛けるうっそうとした樺の樹の林へと入っていった。十数ヤードごとに波打った金属の跳ね上げ扉が目に映ったが、ケンドラは地面の下に広がる闇の迷宮を想像して、その下に隠れる危険を犯しはしなかった。彼女は先に進み、やがて様々な色をなして起伏する砂丘へと着いた。彼女は素足でエメラルド色の、そしてルビー色、さらにはサファイヤ色の砂を踏みしめていった。

 ケンドラは、見捨てられたガソリンスタンドや閉鎖された商店の並ぶ、曲がりくねった四車線のハイウェイの中ほどで立ち止まり、息を整えようとした。そこに見えたのは、かつての剥製師の店や家具店の倉庫、プール洋品店、食堂のフランチャイズ店の数々などだった。前で招いているのはキャンプ場で、ピクニックテーブルやブランコの間を小川が流れている。彼女はそこに向かって顔を洗おうと思った。これで一段落ついて目覚めることができるだろう。彼女が小川に近づくと、キャンプ場は道路から見たよりも深い森の中にあった。何かが下藪の中で音を立てている。そこで彼女は初めて目を上げ、キャンプ場にかかっている看板を見た。

 “おばあちゃんの家”。看板にはそう書かれていた。

 えっ、とケンドラは思った。

 看板の背後から人狼の姿が現れた。それは彼女に飛び掛り、彼女を仰向けに押し倒した。上にのしかかったそれの重さに彼女は押しつぶされ、肺は息をするのがやっとだった。彼女の鼻腔に、麝香のような肉食獣の臭いが流れ、彼女の目には涙があふれてきた。その生皮には再生の時の血がまだ滴って、灰色の毛に斑点を描いている。鼻先を彼女の鼻に触れる寸前まで近づけてくると、彼女の頬と首に湿った熱い息がかかった。

 「俺を覚えているか?」とそれは聞いてきた。

― 続く


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